ベトナムの社会問題
「カンパイ!」
聞き慣れた掛け声で杯を交わす。日本が好きなベトナム人は案外知っている言葉だ。ベトナム語の乾杯は、どちらかと言えばコールに近いので、なかなか使う機会がない。その点日本語の「カンパイ」はしんみりと使うこともできるので便利な言葉なのだ。
稽古の後のビールが旨いのは海を越えても変わらない、変わったのは周りで飛び交う言語だけ。もっともハノイビール(ビン1本50円)の味の薄さは気になるけれど。
幸いにもベトナムでも合気道をすることができている。日本人がいると聞いていたけれど、日本人がいるのは日曜が大体で、平日に行けばだいたいがベトナム人だ。
これだけベトナム人に囲まれていれば、ベトナムのことはなんでも聞ける。そう、今回僕が仰せつかったテーマは「ベトナムの社会問題」だ。これは自分の主観でどうこうするよりも直接聞いた方がスマートというものだ。
二本目のビールを開けながら、正面に座ってる三人に訊く
「ベトナムの社会問題って、なに?」
「?」
怪訝な顔をされた。スマートに質問したつもりでもスマートには決まらないものだ。
流石に三人からこんな視線を向けられるとちょっと傷つく。
がんばって説明をするがイマイチ伝わらない。どうやらピンときてないっぽい。きっと英語力のなさのせいではないはず、きっと。
「ゴメン、日本語で言ってくれる?」
日本語を勉強しているハインはとっても合理的な提案をしてくれた。ハインは漢字で書くと「幸」だ。つまり、サッちゃんだ。23歳なのでBan tuoi(同い年)である。
日越英の三ヶ国語を織り交ぜながら「社会問題ってそもそもなんだ」という定義を伝えていく。耳慣れた言葉を言い換えるというのは存外むずかしいものだ。結局は「ニュースでよく報道されるような、広く社会で共有されている大きな問題」とでもいえばいいのだろうか。
二本目のビンが空いた。すかさず三本目を開ける。
「まぁ私はこの溢れかえるバイクと大気汚染が問題だと思うんだけど」
ズィエップ姐さん(26)が口を開く。ズィエップ(Diep)と書くと発音のむずかしさばかりがめだってしまうが、漢字にすれば「葉」である。
「でも最大の問題はね、中国との領土問題よ」
ちょっとマジメな感じで話されるけれど、領土問題が社会問題というのはピンと来ない。
「あなたの国もそうでしょう、ほら、尖閣(Senkaku)だっけ?」
釣魚島で覚えられていないのは光栄である。
思い当たるフシはある。
この国は中国が大嫌いだ。
同僚のトゥイさん(年齢不詳のおばさん)に「あなたの名前は漢字で書くと翠ですね」と言ったことがあるが、「漢字?中国語?私の名前は中国語じゃないわ!」と返された。もっとも彼女はイマイチ英語ができない感じではあるのだけれど。
でも別の同僚のヴォン(38歳、漢字で書くと王)はもうちょっと英語ができるので、「俺は中国が大っっ嫌いだね」と明朗に、そして快活に言い切っていた。もっとも彼は「俺はアベ首相の大ファンだ」とか「靖国神社いいよね」とか「もしもベトナムと中国で戦争が起きるときはきっと日本が立ち上がってくれる」とか日本じゃ右翼もためらう発言を連発するのでちょっと危なっかしさがあるけれど。
けれどけれどを積み重ねるよりも歴史を見たほうがはやいだろう。
中越対立の歴史的な背景は根深い。かつてのベトナムの共産主義は中国共産党ではなくソ連寄りで、中越戦争が起きたのは1979年、そこまで昔の話でもない。
歴史的に見ればこの国は北宋を退け、元寇を三度撃退し、明とも清とも戦っている。そうした英雄たちの名前が、ハノイの、ホーチミンのそしてダナンの街路の名前になっている。
どこの都市にもある「ハイバーチュン」とは前漢と戦った徴姉妹のことだ。
日中韓とともに、数少ない漢字/中華/儒教文化圏国家であるが、中越の関係は縁が深いというよりも宿敵と言った方が近いかもしれない。
日本の戦争が終わったのは1945年だが、ベトナムという国はそこからフランスと戦い、アメリカと戦い、カンボジアと戦い、中国と戦って今がある。人口ピラミッドを見れば若年層のボリュームが大きく、三十路後半で要職につく人も多いが、その裏にはそれより上の世代はベトナム戦争の直下にあったという過去がある。
だから彼らは敏感だ。近々のことで言えば鳩山政権時代にハノイ・ホーチミンをつなぐべく日本の新幹線を輸出することが決まり、JICAが調査したものの、2011年にはお金がかかりすぎるとのことでの凍結が決まった。表面的には予算の問題だが、国民感情的には「南北が繋がると中国の脅威が強まる」という反感が強く、人によってはそもそもこの事業の主体を日本ではなく中国と誤解していて、頓挫してよかったと胸を撫で下ろしていたようだ。ちょっと困ったことである。
そんなことに思いを馳せながら、その日はビールを4本飲んで終わった。これだけ飲んで円換算で200円なのだから安いものである。
しかし中国と仲がわるいくらいじゃ社会問題とは言えないような気もするなぁ、と思いながら、翌週の南部出張に行くことに。
言いそびれてしまったけれども、僕のインターン先は水産系の会社である。縁あってハノイの事務所で働くことになったけれど、なんだかんだ水産のメッカはベトナム南部だ。この出張はそういう地理的条件を考えれば必須だった。
南部のコーチシナはもともとクメール(現カンボジア)の土地であり、阮朝支配に繰り入れられたのは19世紀初、しかも半世紀足らずの間に仏領の植民地になり、独立後は南北に分断され、結局北部に併合される形で現ベトナムに繰り入れられた。
そういう歴史的経緯もあって、極めてベトナム色が薄い(まぁ北部トンキンは逆に中国の影響が強すぎる気もするけど)。たとえばホーチミン市というのも、栄えてはいるもののベトナム的というよりは、タイのバンコクに近い香りのする地域である。
ベトナム人は見栄っ張りで、自分を悪くいうことはない。だから、外にでないとなかなか客観的な情報を得られない。インターン先にこもっていると”ベトナムの水産業は伸び続ける”とついつい思わされてしまうから、この出張で「ベトナムの漁業の未来は暗いよ」と言われたのは新鮮な驚きだった。
「なぜ?」
「それはね、中国との領土紛争だね。あいつらが排他的経済水域に入ってきているせいで、操業できるエリアが大きく狭まっているんだ。だからこの国の漁獲量は年々落ちている」
領土問題が甚大な被害を、ここまで物理的に与えていることは、恥ずかしながら想像が及んでいなかった。中国の反日デモ・暴動で冷え込むとか、そういう文脈だけだと勝手に思い込んでいた。日本に例えるならレアアース禁輸のようなものだろうか。
彼はビジネスマンらしく、シビアに括った。
「ベトナムはこの問題を解決できない、だから私はベトナムの漁業には張らない。水産分野に投資するなら、養殖業だ」
お金が動けば、そこにシビアさが伴う。それはどこの国でも同じだ。商習慣が違う、文化が違う、といっても、一方的に損をするような仕組みなんてのは存在しない。見えないルールがその国の人々を縛っている。見えないものは価値観か歴史か…文化と括ってしまうことは容易いけれど、そこにはなぞって辿れるなにかがあることは確かだ。
ベトナム人は勤勉で労賃も安く、そういったコストの低さが進出企業にとっては魅力となる。反面、ベトナム人の離職率は高い。また副業を掛け持ちしている場合が非常に多い。
これは日本企業からしてみれば印象は悪い。終身雇用と言わないまでも、ある程度の研修であるとか、実務経験であるとか、そういった「人への投資」の回収率が悪くなってしまう。
「なんでベトナム人はすぐ転職したり掛け持ちするの?」
ハノイに帰って数日後、いつものとおり稽古のあと、この日3本目のビールを開けながら日本語能力検定3級(N3)所有者のハンさん(25)にきいてみた。
「だって給料がやっすいんだもの」
単純な理由だ。
給料が安い、だから掛け持ちする。掛け持ちするから賃金は安く見える。その安さに惹かれて進出した企業は当然安い賃金しか払わない。でも、安いとやってられないから辞めてしまう。見かけの所得からじゃそれはわからない。一人あたりの所得の正確なデータを、おそらくこの国は持っていない。
副業の多さはこの国が所得を捕捉できていないことの裏返しだろう。”副業文化”は「みんながやっているから」できたものではない。逆だ、そうすることが望ましいからみんなやっている、その現実を”文化”と呼んでいるだけだ。
「戸建てを持つのは、日本も大変ですよね。ベトナムも戸建ては高いんですよ」
ある官僚はそういった。
「それで、いまあなたの住まわれている、このマンションはいくらなんです?」
「2000万円」
なるほど確かに良いマンションだ。彼はどうやってそのお金を稼ぎだしたのか、しる由もない。
日本はなんだかんだ守られている。仕組みとして、クリアである。社会という漠たるものを補足できる。だから、社会問題というのが明らかになる。異物は炙りだされるのだ。
他の国は、少なくともベトナムは、そうではない。汚職があって、安い賃金があって、シビアな社会が厳然と存在している。そうした社会で生きていくすべをもっているのが彼らなのだろう。だから「社会で共有される問題」はなかなか出てこない。
まぁ、もっと単純に、社会主義国だから「この社会に問題がある」とは言えないのかもしれない。否、「社会に問題がある」という発想自体が希薄なのかもしれない。
見えない部分は深く、表にならない情報が多い社会だということを強く感じる。
この「見えなさ」は、ぼくら異邦人からすれば、ひとつの社会問題だろう。しかし国の内部で暮らす彼らはそうは思わない。それを明らかにするすべをもたない、知らない、違和を感じない。ベトナム国内に社会問題は「ない」。それでも彼らはにこやかに日々を生きている。
河野尭広
※本記事は完全なる私見であり、之に基づくいかなる行動、及びその結果生じた如何なる事態について筆者は責任を負わないことを改めて明記致します。