ベトナム、ホーチミンだより 食事編
ソルテックベトナムカンパニーでインターンをさせて頂いている井上和佳です。
平日のお昼は、事務所の3階にある食堂で従業員の皆さんと一緒に取っています。基本的に主菜がお肉か魚で、半セルフでご飯だけ自分でつけます。お米は長粒米で、日に日に日本のお米が恋しくなります。これにスープがついているんですが、私は早々にギブアップしました。
味は何とも形容しがたく、ベトナムの味としか言いようがありません。
朝は屋台でバイン・ミー(ベトナム風サンドイッチ)を買っています。パテやハーブ類が入っていて、ニョクマムがかかっています。フランスの植民地時代の名残か、ベトナムでは意外にパンがおいしいです。
ベトナムでは食事を作るよりも外食をとる習慣が根強く、町の中でも多くの屋台や半屋台形式のお店があります。私のアパートの近くにも中華料理風のお店があり、そこで時々晩御飯を買っています。
休みの日には、普段いかないレストランに行ったりもします。飲茶が少し歩いたところにあるのでそこでお昼を食べたりしました。
日本に帰ったら、野菜のいっぱい入った鍋が食べたいです。
ベトナムの社会問題
「カンパイ!」
聞き慣れた掛け声で杯を交わす。日本が好きなベトナム人は案外知っている言葉だ。ベトナム語の乾杯は、どちらかと言えばコールに近いので、なかなか使う機会がない。その点日本語の「カンパイ」はしんみりと使うこともできるので便利な言葉なのだ。
稽古の後のビールが旨いのは海を越えても変わらない、変わったのは周りで飛び交う言語だけ。もっともハノイビール(ビン1本50円)の味の薄さは気になるけれど。
幸いにもベトナムでも合気道をすることができている。日本人がいると聞いていたけれど、日本人がいるのは日曜が大体で、平日に行けばだいたいがベトナム人だ。
これだけベトナム人に囲まれていれば、ベトナムのことはなんでも聞ける。そう、今回僕が仰せつかったテーマは「ベトナムの社会問題」だ。これは自分の主観でどうこうするよりも直接聞いた方がスマートというものだ。
二本目のビールを開けながら、正面に座ってる三人に訊く
「ベトナムの社会問題って、なに?」
「?」
怪訝な顔をされた。スマートに質問したつもりでもスマートには決まらないものだ。
流石に三人からこんな視線を向けられるとちょっと傷つく。
がんばって説明をするがイマイチ伝わらない。どうやらピンときてないっぽい。きっと英語力のなさのせいではないはず、きっと。
「ゴメン、日本語で言ってくれる?」
日本語を勉強しているハインはとっても合理的な提案をしてくれた。ハインは漢字で書くと「幸」だ。つまり、サッちゃんだ。23歳なのでBan tuoi(同い年)である。
日越英の三ヶ国語を織り交ぜながら「社会問題ってそもそもなんだ」という定義を伝えていく。耳慣れた言葉を言い換えるというのは存外むずかしいものだ。結局は「ニュースでよく報道されるような、広く社会で共有されている大きな問題」とでもいえばいいのだろうか。
二本目のビンが空いた。すかさず三本目を開ける。
「まぁ私はこの溢れかえるバイクと大気汚染が問題だと思うんだけど」
ズィエップ姐さん(26)が口を開く。ズィエップ(Diep)と書くと発音のむずかしさばかりがめだってしまうが、漢字にすれば「葉」である。
「でも最大の問題はね、中国との領土問題よ」
ちょっとマジメな感じで話されるけれど、領土問題が社会問題というのはピンと来ない。
「あなたの国もそうでしょう、ほら、尖閣(Senkaku)だっけ?」
釣魚島で覚えられていないのは光栄である。
思い当たるフシはある。
この国は中国が大嫌いだ。
同僚のトゥイさん(年齢不詳のおばさん)に「あなたの名前は漢字で書くと翠ですね」と言ったことがあるが、「漢字?中国語?私の名前は中国語じゃないわ!」と返された。もっとも彼女はイマイチ英語ができない感じではあるのだけれど。
でも別の同僚のヴォン(38歳、漢字で書くと王)はもうちょっと英語ができるので、「俺は中国が大っっ嫌いだね」と明朗に、そして快活に言い切っていた。もっとも彼は「俺はアベ首相の大ファンだ」とか「靖国神社いいよね」とか「もしもベトナムと中国で戦争が起きるときはきっと日本が立ち上がってくれる」とか日本じゃ右翼もためらう発言を連発するのでちょっと危なっかしさがあるけれど。
けれどけれどを積み重ねるよりも歴史を見たほうがはやいだろう。
中越対立の歴史的な背景は根深い。かつてのベトナムの共産主義は中国共産党ではなくソ連寄りで、中越戦争が起きたのは1979年、そこまで昔の話でもない。
歴史的に見ればこの国は北宋を退け、元寇を三度撃退し、明とも清とも戦っている。そうした英雄たちの名前が、ハノイの、ホーチミンのそしてダナンの街路の名前になっている。
どこの都市にもある「ハイバーチュン」とは前漢と戦った徴姉妹のことだ。
日中韓とともに、数少ない漢字/中華/儒教文化圏国家であるが、中越の関係は縁が深いというよりも宿敵と言った方が近いかもしれない。
日本の戦争が終わったのは1945年だが、ベトナムという国はそこからフランスと戦い、アメリカと戦い、カンボジアと戦い、中国と戦って今がある。人口ピラミッドを見れば若年層のボリュームが大きく、三十路後半で要職につく人も多いが、その裏にはそれより上の世代はベトナム戦争の直下にあったという過去がある。
だから彼らは敏感だ。近々のことで言えば鳩山政権時代にハノイ・ホーチミンをつなぐべく日本の新幹線を輸出することが決まり、JICAが調査したものの、2011年にはお金がかかりすぎるとのことでの凍結が決まった。表面的には予算の問題だが、国民感情的には「南北が繋がると中国の脅威が強まる」という反感が強く、人によってはそもそもこの事業の主体を日本ではなく中国と誤解していて、頓挫してよかったと胸を撫で下ろしていたようだ。ちょっと困ったことである。
そんなことに思いを馳せながら、その日はビールを4本飲んで終わった。これだけ飲んで円換算で200円なのだから安いものである。
しかし中国と仲がわるいくらいじゃ社会問題とは言えないような気もするなぁ、と思いながら、翌週の南部出張に行くことに。
言いそびれてしまったけれども、僕のインターン先は水産系の会社である。縁あってハノイの事務所で働くことになったけれど、なんだかんだ水産のメッカはベトナム南部だ。この出張はそういう地理的条件を考えれば必須だった。
南部のコーチシナはもともとクメール(現カンボジア)の土地であり、阮朝支配に繰り入れられたのは19世紀初、しかも半世紀足らずの間に仏領の植民地になり、独立後は南北に分断され、結局北部に併合される形で現ベトナムに繰り入れられた。
そういう歴史的経緯もあって、極めてベトナム色が薄い(まぁ北部トンキンは逆に中国の影響が強すぎる気もするけど)。たとえばホーチミン市というのも、栄えてはいるもののベトナム的というよりは、タイのバンコクに近い香りのする地域である。
ベトナム人は見栄っ張りで、自分を悪くいうことはない。だから、外にでないとなかなか客観的な情報を得られない。インターン先にこもっていると”ベトナムの水産業は伸び続ける”とついつい思わされてしまうから、この出張で「ベトナムの漁業の未来は暗いよ」と言われたのは新鮮な驚きだった。
「なぜ?」
「それはね、中国との領土紛争だね。あいつらが排他的経済水域に入ってきているせいで、操業できるエリアが大きく狭まっているんだ。だからこの国の漁獲量は年々落ちている」
領土問題が甚大な被害を、ここまで物理的に与えていることは、恥ずかしながら想像が及んでいなかった。中国の反日デモ・暴動で冷え込むとか、そういう文脈だけだと勝手に思い込んでいた。日本に例えるならレアアース禁輸のようなものだろうか。
彼はビジネスマンらしく、シビアに括った。
「ベトナムはこの問題を解決できない、だから私はベトナムの漁業には張らない。水産分野に投資するなら、養殖業だ」
お金が動けば、そこにシビアさが伴う。それはどこの国でも同じだ。商習慣が違う、文化が違う、といっても、一方的に損をするような仕組みなんてのは存在しない。見えないルールがその国の人々を縛っている。見えないものは価値観か歴史か…文化と括ってしまうことは容易いけれど、そこにはなぞって辿れるなにかがあることは確かだ。
ベトナム人は勤勉で労賃も安く、そういったコストの低さが進出企業にとっては魅力となる。反面、ベトナム人の離職率は高い。また副業を掛け持ちしている場合が非常に多い。
これは日本企業からしてみれば印象は悪い。終身雇用と言わないまでも、ある程度の研修であるとか、実務経験であるとか、そういった「人への投資」の回収率が悪くなってしまう。
「なんでベトナム人はすぐ転職したり掛け持ちするの?」
ハノイに帰って数日後、いつものとおり稽古のあと、この日3本目のビールを開けながら日本語能力検定3級(N3)所有者のハンさん(25)にきいてみた。
「だって給料がやっすいんだもの」
単純な理由だ。
給料が安い、だから掛け持ちする。掛け持ちするから賃金は安く見える。その安さに惹かれて進出した企業は当然安い賃金しか払わない。でも、安いとやってられないから辞めてしまう。見かけの所得からじゃそれはわからない。一人あたりの所得の正確なデータを、おそらくこの国は持っていない。
副業の多さはこの国が所得を捕捉できていないことの裏返しだろう。”副業文化”は「みんながやっているから」できたものではない。逆だ、そうすることが望ましいからみんなやっている、その現実を”文化”と呼んでいるだけだ。
「戸建てを持つのは、日本も大変ですよね。ベトナムも戸建ては高いんですよ」
ある官僚はそういった。
「それで、いまあなたの住まわれている、このマンションはいくらなんです?」
「2000万円」
なるほど確かに良いマンションだ。彼はどうやってそのお金を稼ぎだしたのか、しる由もない。
日本はなんだかんだ守られている。仕組みとして、クリアである。社会という漠たるものを補足できる。だから、社会問題というのが明らかになる。異物は炙りだされるのだ。
他の国は、少なくともベトナムは、そうではない。汚職があって、安い賃金があって、シビアな社会が厳然と存在している。そうした社会で生きていくすべをもっているのが彼らなのだろう。だから「社会で共有される問題」はなかなか出てこない。
まぁ、もっと単純に、社会主義国だから「この社会に問題がある」とは言えないのかもしれない。否、「社会に問題がある」という発想自体が希薄なのかもしれない。
見えない部分は深く、表にならない情報が多い社会だということを強く感じる。
この「見えなさ」は、ぼくら異邦人からすれば、ひとつの社会問題だろう。しかし国の内部で暮らす彼らはそうは思わない。それを明らかにするすべをもたない、知らない、違和を感じない。ベトナム国内に社会問題は「ない」。それでも彼らはにこやかに日々を生きている。
河野尭広
※本記事は完全なる私見であり、之に基づくいかなる行動、及びその結果生じた如何なる事態について筆者は責任を負わないことを改めて明記致します。
ミャンマーの国民性?
ミャンマーは今、涼しくてとても過ごしやすいです。12月から2月はちょうど乾季なのでマンゴーの旬ではないけれど、カビに驚かされることもなくて快適です。ありんこは常にいますが笑
こないだ来たばかりだったのに、あっという間に折り返し・・・・半分終わって驚いております。まだまだ、やれることはあるはずと思う今日この頃です。
さて、今回のお題は「国民性」です。
このブログは私の個人的な見解で記述するものですが、なかなか一概には言えないのがこの「国民性」というやつですよね~。
ヤンゴン(大都会)住民と農村民は異なるし、民族によっても(ミャンマーにはたくさんの民族がいます)異なると思います。
(「国民性」を語る難しさや危うさは志田さんの記事「※これを読んでもバングラデシュ人の国民性は分かりません」も御覧になることをおすすめします。)
「国民性」というテーマにこれから記述することがマッチしているか、わかりませんがちょっと考えてみました。
「まじめで勤勉な仏教徒。親日。豊かな労働力が魅力。」なんていうのが、ミャンマーブームを後押しするフレーズの一つ。
でははたして本当にそうなのか?それだけなのか?
私の個人的な見解:
「あたたかくって、人がおだやかで近しい、だけじゃなくて、ちゃっかり。先を見通して思考するより、丸暗記が得意。歌が好き。日本人に比べてだいぶおおざっぱ。パゴダをみたら手を合わす。素直。」です。はい笑。
もちろん人気フレーズどおりの面もあるけど、それだけじゃないとおもいます。
ここからはせっかくなのでこちらにいる日本人の方から聞く、ミャンマーあるある (笑)や自分の経験をちょっとご紹介。
ミャンマーにいる日本人から聞くところによると・・・
「わからなくても質問してこない。」「同じ質問をしても、人によって答えることがちがう。」「1から10まで、何度も小学生に教えるように説明しないと伝わらない。」「10分待ってと言われたら30分くらい待つつもりでいれば、うまくいく。」「渋滞のとき、誰かがクラクション鳴らすと、なぜかみんな鳴らし始める。」「頼みごとは何回もリマインドする必要がある。」
ちょっとネガティブな ”ミャンマーあるある” みたいになってしまいましたが、そういうところに見えてくるものもあるかも、と思ったり。
私自身の体験をお話しします。
ビルマ語を話す練習してるという私に、「じゃあいつでも電話して。話し相手になるよ。」といって、友達になりタクシー代をおまけしてくれるタクシーの運転手さんがいました。
オフィスの仲間は歌を歌ったり、からかいあったりしながら笑って仕事します。笑
うちの近所のクリーニング屋さんは遊びに行くとたいてい私にお菓子やご飯をごちそうしてくれます。
ギュウギュウづめのバスに乗ると、男性はたいてい女性に席を譲ってくれたり、席に座っている人が立ってる人の荷物を持ってくれたりします。こけそうになって誰がが支えてくれることもあるし、降りる場所が近づくと教えてくれます。
みんな人の顔をよく覚えます。目が合うとやさしく微笑んでくれる人もいます。
プライベートなことも(づけづけと笑)尋ねられることもありますが、「人と人との心の距離が近い」という印象です。
なんだか話がそれてしまいましたが、ミャンマーの人の人柄が伝わる話がしたかったのです。
「国民性」というのは違うから面白いとわたしは感じます。
でも違うからこそ一緒にビジネス等進めていくうえで、よく知って寛容に受け入れる必要のあるところなのかなと思います。
一国の人々を一言で語ってステレオタイプみたいなものにとらわれてしまうのはよくないことかもしれませんが、ぼんやりとした輪郭を知るのは興味深いなとも思います。
個人的な見解に基づく拙文失礼いたしました。
引き続きインターンがんばります!
(毎度写真もなくて申し訳ありません;;)
高石@ミャンマー
インドの車窓から
こんにちはー!
インドの南の方に位置するコチに滞在している中村優太です!!年末年始ゴアではしゃぎ、帰りの電車の中での食あたりから回復してようやく調子を取り戻したところです。
ゴアの話を書きたいのはやまやまなのですが、
今回はコチでのとある1日でもお伝えしようと思います。
朝6時30分 起床
朝日と共に起きることはとても気持ちいいです。(言ってみたかった)
まず、コーヒーを飲みながら新聞を読みます。
ここから30分本気でヨガをするのが1日の始まりです。
ヨガをして体が暖まったところで、朝食を食べます!
朝からミールスというプレートスタイルのご飯行きまーす。
脂っこさは満点なんだけど病みつきになる味で最高!!
そしてここで、野生のレッドキラー現る
とにかく運転が荒いことで有名なこのバス、地元の人から危険なレッドキラーと呼ばれています。こいつで通勤すると7ルピー(13円位)で行ける最高のツール。
せっかくなんで仕事の話も簡単にします。
IndocosmoというIT会社で働いていて、日本のお客さんとエンジニアのサポートをしたり、プログラミングを勉強したりしています。とてもフランクな会社なのでやりたいことがあったら、社長に直接交渉できます。
分からないことは助けてくれるし、やりたいことは支えてくれる、そんな素敵な雰囲気で仕事をさせてもらってます。
朝は真面目に働き、昼にパイナップルジュースを飲み、午後から大学に行く訳です。
大学の写真は取り忘れたので次回作に期待しててください。
この店の作るパイナップルジュースが圧倒的おいしさを誇るので、チャイに飽きたらここに来ます。スイートさとフレッシュ感が偉大で、着くと何も言わずに準備してくれるホスピタリティも!食べログ評価3.6くらいです!!パイナップルをその場で剥いてミキサーにかける速さは芸術レベルなのでコチに来られた際はぜひ!
仕事に飽きたら場所を変えて作業します。
自分でもどうしたらこんなにアレな写真がとれるか分からないんですけど、
たまにはこんな真面目な写真があってもいいかなーと。
そして、この日はたまたまチェンナイからインターン生が遊びに来てくださっていたので一緒にディナーに行きました。インドでも全然場所によって文化が違うので、各地の人が話すことが全く噛み合ない時が多々あります。
帰りは22時くらいに家に着き、ヨガしてコーヒー作って24時には寝ます。
いかがでしたでしょうか?ただの1日をダラダラ紹介するブログでしたが、
各方面の助けになることを祈ってまーす!
※これを読んでもバングラデシュ人の国民性は分かりません
アッサラームアライクム
こんにちは!志田です。
皆さん、派遣期間も折り返し地点となりましたが、体調などいかがですか?
あと1か月半程度、無事に終えたいですね(^^)
↑姉が来ました
今回は「国民性」というテーマを提示していただきました。
が、いざ書こうとするとまず前提とする「国民性」とは何かということについて考え込んでしまいました。
国の文化の上に作られた不文律のような人間の嗜好?(ボキャ貧)だとは思うのですが、はてさてそれを私が語ってもよいものなのでしょうか。
調べてみると、
「国民性」その国の国民に共通してみられる気質や感情
(デジタル明鏡国語辞典)
であり、
漢字の成り立ちからすると
「国民」+「性」
「国民」その国家の構成員であり、その国の国籍を有している人(デジタル明鏡国語辞典)
「性」さが、たち、本省、生まれながらに持つ性質(新漢語林)
ここまで調べてみると「国民」に「性」って言葉が変ですよね。
「人工物」+「自然物」??
恐らく、社会学や国際関係?、文化人類学なんかを取ったことがある人はおなじみの考えなんじゃないかなと思うのですが、「性」という言葉でごまかされているものの、人工物(国家・国籍)と人工物(えらい人の思惑)の合致の延長線上にあるものが「国民性」であると私は考えているし、うーんどう書くべきものかという気持ちです…
でも、書いたんですよ。一応。下に載せておきますが。
何度読み直しても、軽すぎて情けなくなる文章だなーと思います。
つまり、バングラデシュ人でもない私がバングラデシュ人の国民性について述べるなんて不可能に近いです。というか、私ごときが書いた文章で分かったような気持ちにならないでほしいし、むしろ見てもいないのに文章で分かろうとすることはとても危険だと思います。
文章とは書き手の意識が多分に含まれているもので、どれだけ公平性(ジャーナリズム的なサムシング)を主張していようとも、常に疑ってかかる姿勢が大事かと思います。
話はわき道にそれましたが、
「国民性」は自意識に近いところで生まれて、それを持たない人間が知ろうとしても表層しか掬えないのだと私は思います。ましてや、来て一か月程度の私には習慣くらいの薄皮、例えるなら湯葉を百分の一の薄さにした位の皮くらいしか掬えてないですね。
こう考えると「国民性」って不思議だなーと思います。
生まれた時から、自分の中で知らず知らずのうちににょきにょきと育ち、心の奥の方に根付いてしまって、時には違う文化に対して牙をむいたり憎しみの種になったりするときもあるけれど、結局は自分の拠り所の一つになっている。それは、他者と自分を区切る一つの壁であり、ルールであるのでしょう(私が思うに、です。)
おととい、結婚式に参列させてもらいました。
一応書いたやつ↓
- 話好き、食事好き、歌好き
驚くほど話します。圧倒されます。
でも、いざ私が話しはじめるとめっちゃつまらなそう…
なので、小心者の私はいかに気持ちよくしゃべってもらうかのスキル(大げさな相槌)のレベルだけが上がっていきます。(かつバングラジョーク分からんのでときどきずれて、(相手が)すべった芸人みたいな状態になる、あああ)
会話の時間はバングラデシュ人の価値観を知れるので楽しいです。
あと、食事をコミュニケーションの一環と捉えており、同僚の家に招かれて食事をすることもあります。(これは全世界共通でしょうか)
その時に出てくるのは、砂糖過多な食べ物が多い気がします。
ミシュティやチャ―など、甘――――――い(井戸田)
ご飯もよく食べますが、インシュリン上がりまくりです
以上のことから、
バングラ人は会話や食事で人とのコミュニケーションを重視していて、現在の日本よりハートフル!!絆!!!万歳!!!!!
ということは簡単なのですが、
思うのは、これしか快楽をもたらすものがないんじゃないかなと。
婚前交渉禁止、お酒飲まない、インターネットない
上の手段以外でアドレナリン分泌させようと思ったら、会話(発声)、食事、糖分くらいになってしまうのかなーと思います。
まー、でも一昔前の日本もこんな感じだったのかもしれませんね(←てきとう)
- 恋愛、性
驚いたことに、以前一人で道を歩いていたとき、ナンパ!されました!てへぺろ
イケメンじゃなかったし、私のことネパール人(←なんでやねん)だと勘違いしていたけど、恋愛的な意味ではなくネタ的に面白いかもと思い、電話番号を交換したところ、鬼電…
怖くなり(自業自得)、会社の人に出てもらったところ、収まりました…
恋愛において、前のめりは禁物ですお兄さん。(他人のふり見て我がふり直せ)
上の例は例外としても、イスラム圏の恋愛事情は、聞くところによるとかなり純愛、もしくはお見合い結婚なようです。
ただ、最近のショッキングなニュースの一つに
インド東部で邦人女性一ヶ月監禁事件がありました。
これについては、少々ショックが強すぎて自分の考えがまとまっていないので、誰か帰国したら話しましょう~
- 我先に!とりあえず!
ひどい交通渋滞はこの精神によって作られています
(書くの疲れてきた)
- 適当、かつポジティブ
ダッカでは交通渋滞がひどく、時に帰宅ラッシュは家まで2時間ほどかかることもあるのですが、そんなとき
「みんな動いているだろう?これはバングラデシュのビジネスが動いている証で、もっと良くなっていこうとしているんだよ」
と、他社の偉い人に言われたときに、素敵な考え方だなぁと納得してしまいました。まあ、その時はクラクション鳴りまくりで、ちっとも前に進んでませんでしたけど。
以上です!
読み返したら、何とも言えない性格の悪さがにじみ出ていて、私らしい文章だなと思いました。へへへ。
終わります。
/長いし、ここまで読んでくれる人は優しいわん。\
ここまでが書いたやつです。
すみません。ぐだぐだで。
では、またー!!
志田
インドネシア チカランから(文化等)
Salamat sian!
今回の学生インターンメンバーでは唯一のインドネシア派遣の関です。
私はいま、PT. JAC Indonesiaという人材紹介の会社でインターンをしており、西ジャワのチカランにあるカラワンオフィスに勤務しています。日本ではJACはリクルートなどより知名度が劣りますが、ここインドネシアでは人材紹介最大手の地位を築いています。
私はここで、候補者情報を日本人クライアント向けに作成したり、営業先開拓のため新たに進出した日系企業を調べたりしています。たまに営業先に同行することもあります。
この仕事のよいところは、人材紹介ビジネスの特性上、こちらに進出している企業のことや、人材採用における悩み、給与相場などがわかることです。とくに私は首都ジャカルタではなく、日系企業が数多く進出している工業団地のなかに位置するオフィスでの勤務となったため、工業団地について知れるのは興味深いです(反面ジャカルタの便利さや娯楽が羨ましくなりますが…)。
ここチカランでの生活や工業団地についても書きたいところですが、今回のテーマは文化ということで、インドネシアの文化について少し紹介します!
インドネシアでは2億5千万の人口のうち88%がムスリムとされており、中東の国々を大きく上回って世界最大のムスリム国家となっています。
イスラームでは1日5回お祈りがあり、朝一番のお祈りは朝4時半ごろに行われます。本当にみんながお祈りしているかは不明ですが、街のあちこちの寺院でお祈りの音が朝から流れてきます。また、ムスリムの成年男子には金曜日の礼拝を集団で行うことが義務とされており、金曜日は昼休みが長くなります。このときはドライバーもお祈りに行くため、ビジネスにおいてはスケジュールに気を使います。
イスラームは食生活にも大きく影響を与えています。もちろん豚肉・アルコールは禁止で、大手ハンバーガーチェーンでも豚肉メニューはありません。初めてオフィスに来たとき、共用の冷蔵庫や電子レンジに豚肉を入れると、機械ごと買い替えなければならないから注意するようにと言われたのはちょっとびっくりしました。食について余談ですが、インドネシア人は辛い物、特にチリソースが大好きです。ほぼどのレストランにもケチャップのような赤いボトルがありますが、チリソースです。
服装について言えば、人にもよりますが、女性は肌を露出するような服を控えヒジャブ(頭を覆う布)を着用する人が少なくないです。インドネシアでは女性の社会進出が目立ちますが、その影響もあってかファッション性の高いヒジャブも目にすることができます。
それから、インドネシアの衣装といえばバティックは外せません。日本では「ジャワ更紗」とも言われている、ろうけつ染めの布を使った服です。ただし、本格的なろうけつ染めは価格も高いため、最近ではプリントのものも普及しています。バティックは正装扱いなので、スーツがなくてもバティック一枚でOKです。金曜日は積極的にバティックを起用という「バティックデー」とされ、多くの人がバティックを着用しています。
(金曜日のオフィスにて。この日はコンサルタントの一人とお別れの日でした)
ここまでイスラームからくる文化を中心に紹介しましたが、まだまだ書き足りませんね。
「キラキラ文化」(日本語で「だいたい」という意味で、時間や注文などにアバウトなこと。時間にルーズなことを表現した、「ゴムの時間」という言葉も)も文化に入ると思いますし。
まあきりがないのでこの辺で終わります。最後に、インドネシアに来ればおのずと体験できる!ということでインターン先の宣伝をしちゃいます笑。
JACは、日本からインドネシアへの転職も強力に支援しています。インドネシアで働くことに興味があればJACへ! (こちらのブログにもたまに投稿しています)
ウルルン バングラデシュ 滞在記♪
みなさん、明けましておめでとうございます!
バングラデシュのチッタゴンにいる立命館大学3回生 山上由加里です。
更新がだいぶ遅れてしまってごめんなさい!
とうとう年が明けて2015年になりましたね。日本はおせちを食べたり新年を祝っている頃ですが、バングラデシュでは1月1日は新年をあまり祝わず会社も出勤日です。
さてここからは私のインターン内容について。
私はこのインターン事業の現地協力団体であるChattagram AOTS Alumni Society (CAAS)という団体に所属させていただいています。短期間で様々な企業や機関に派遣させていただく予定です。
IMAGE Health Service Delivery Project(NHSDP) でインターンをさせていただいています。
このNGOは主にスラムエリアに住む人々の保健衛生や医療の面から支援を行っている団体です。
今回は毎日の活動内容とその際に見る人々の生活やバングラデシュの景色を皆さんにも感じてもらえたらなと思います。
毎朝11時頃クリニックを出発し市内のスラムにあるサテライトをチームに分かれて訪問しに行きます。
サテライトはチッタゴンのスラムエリア内にあり、人々の生活に直接関わっています。
サテライトチームが到着ともに一人、二人と赤ちゃんを抱えたお母さんたちが並び始めます。
今回は赤ちゃんに麻疹の予防接種を受けさせに来たお母さんが多かったようです。
スラムエリアに住む家族のほとんどの男性がリキシャやCNGのドライバーや、物乞い、条件がいい家庭だったら大学の食堂で働いたりして生計をたてています。女性が家に残り、子供の世話や家事全般を行っています。今回の診察では列に並ぶお母さんたちの中に一人、赤ちゃんを大切そうに抱いている男性がいました。その人が抱いていたのは生後まだ1か月ほどの赤ちゃんで、実はお母さんは赤ちゃんが生まれた10日後に亡くなってしまったそうです。お父さんが赤ちゃんを大事そうに抱きしめている様子がとても印象的でした。
スラムと言ったら、汚い、貧しい、物乞いなど悪いイメージばかり湧いてしまいがちですが、私がここに来て感じたのは全く違ったものでした。普段は道端で群がってくる物乞いの子供たちも見ると本当は無邪気な子供たちでした。 私が日本で習った片言のベンガル語で名前と歳を聞いてみると、子供たちの顔がぱっと笑顔になります。
患者さんの家にお邪魔すると外国人が珍しいのか、気づくと周りからどんどん集まってきてちょっとした人だかりができてしまいます。
そしてたまにいきなり、ベンガル語で薬を渡してと言われます。そのときは習ったベンガル語で必死に伝えようと頑張ってみるのですが、外国人がベンガル語を話すのが面白いらしく、すごく笑われて喜ばれます。笑
家の壁は竹で編んで作ったものや、土で固めたものが多くてその上に新聞紙を張り付けたりしている家庭が多いです。そのため通気性はあまりよくなく、大人数が部屋に入るととても蒸し暑く感じます。
大体の家は部屋にベッドがあり、ちょっとした家具と服がかけてあったり、たまにテレビが置いてある家もあります。でも驚いたことに、どんなに貧しい家でも各家庭に一つは携帯を持っているみたいです。
今までスラムに対するイメージが勝手にあったのですが、こちらにきてスラムに対する印象が変わりました。もちろん、生活基盤としてスラムの環境は決して良い物とは言えませんが、スラムごとに村のようにコミュニティがあり、その村内で隣同士家族のように助けあいながら生活している姿を見ると、むしろ日本よりも人々の生活に暖かさがあって少し羨ましくも感じました。
以上私がバングラデシュのチッタゴンでみたスラムの生活でした!
きっと文字では伝わりづらいこともたくさんあると思うので、もし機会があればぜひバングラデシュにきてみてください!
ではでは!